昔ながらの風呂敷の模様を現代的にオシャレに活用
風呂敷といえば、あるいは、唐草模様といえば「ああ、あれね」。
濃い緑色に白地の半渦模様を連想できる人が多いでしょう。
古くは講談、今では漫画、コントによく出てくる、泥棒が風呂敷包みを
首に巻き付けたり担いでいるユーモラスな様子。
どちらかといえば格式の高くない庶民の生活に深く馴染み好んで使われていた柄で、
まさに風呂敷を象徴する模様と言えます。
現存する日本の文様パターンの多くは縁起物、すなわち吉祥という性格づけで、
特に植物は身近な素材として多用されてきました。
日本の伝統的な吉祥文様の種類と意味
吉祥文様は和風のお祝い事を現した中国から影響を受けた模様であり、
和装の礼装、着物や帯によく使われます。
扇文は雛人形などの扇子に描かれている縁起の良いもので、
王朝趣味の模様として長い間愛されてきて、十二単を着た
身分の高い貴族などの富豪の象徴でもありました。
貝桶文は平安時代の貝合わせという遊びから来ており、貝の美しさや
珍しさを競い、貝にまつわる和歌などを詠む遊びでした。
夫婦和合の象徴でもあり、貴族や大名の家へお嫁に行くときに
嫁入り道具としても使われた結婚の時の必須の一品でした。
蛤文も夫婦円満や着物や帯、ひな人形の装飾に使われています。
宝尽くし文は吉祥文様のひとつで、打ち出の子縁や宝輪やお金を入れるために使われる
金嚢など見ているだけで、楽しいおめでたい図柄がたくさん描かれています。
お正月や祝い事があったときに使用されます。
和の模様にはきちんとした伝統や種類や意味があり、模様に合わせて使用するのも良いです。
おなじみの柄は歴史も深い
そして唐草模様はその由来に特徴があります。
そもそも、唐草という植物があるのではなく、つる草や蔦などの絡み合う植物に備わった
強い繁殖力を縁起よいものとし、その葉や茎がデザイン化されたものです。
しかも、唐、すなわち海外から伝わった舶来ものなのです。
時代を遡ると、メソポタミアやエジプトを経由し、古代ギリシアの神殿や
柱飾りにモチーフがみられることなど、その起源はまさに文明発祥に
たどり着くのですから、由緒正しいのは折り紙つき。
どうやって日本に入ってきたのか、そのルートと時代については現在でも
研究対象で、おおむねシルクロードを経由して奈良時代からというのが定説です。
衣食や装飾物のみならず、食器の文様としても好まれ、様々なバリエーションに
展開しながら、次第に独自の和様唐草文様として定着していきました。
では、風呂敷の定番柄となったのは、いつ頃からでしょう。
ヒントは獅子舞です。
16世紀に関西地方で発祥したと伝わる伝統芸能ですが、その起源は
獅子すなわちライオンを象徴する動物が魔を払うという、厄除け祭事でした。
17世紀以降の江戸時代には、獅子頭を支える操者を大きな布で覆い隠し、
街を練り歩く様子が全国的に流行したことがわかっています。
歌川国貞の浮世絵には、緑色に白い文様の布が描かれており、
浮世絵のビジュアルの強さから、この文様が後世に印象づけられたことがうかがえます。
そして大正・明治時代になり、縁起のいい定番柄として、紺や緑のものが
大量生産され生活の中で使われ続けたことが、今なおこれほどポピュラーになった理由でしょう。